はれる也 一筆献納2021

電子版(note) 150円 ※冊子版完売

2021年版のテーマは「はれる」。いろいろな「はれる」が集まった一冊を『はれる也』と名付けました。
藤木一帆「胡蝶の夢」

「長崎に墓参りに行こう」
 お昼時。ここは最近話題になっているカフェ。インスタ映えするメニューが話題だけど、美味しさも評判のその場所で、目の前の親友は私に唐突にそう言い放った。
「……九州に親戚なんていたの?」
「いいえ、知っての通りで生まれも育ちも東京だ」
 えへん、と何故か胸をはってみせる彼女に、私はただただ頭を抱えた。
 彼女の名前は鈴木胡蝶。これで「あげは」と読む。幼馴染の大親友で、大学を出たあともこうして一緒に会ってたまに仕事の話をしたりする。
 ただ、ちょっとだいぶ、様子がおかしい。
 毎度突拍子もないことを突然言い出しては、私を混乱させるのだけど、本人には悪気など一切なく、しかも清々しいほどに自分勝手だ。
 今までの人生、彼女に振り回されなかった日はないと言っても過言ではない。付き合っている私も私だが、大体面白いことが起こるのでそこは割愛しておく。
匹津なのり「メル友、斉藤さんへ」

 どうも。メールありがとうございました。ネコと申します。ふざけてるわけでなく実際名前が「根子」っていうんです。えーと。変な書き出しすみません。何から書けばいいのかわからないんですが。SNSとかは昔いろいろやってて、そういうのは嫌いじゃないんだけど、文字で一対一の長いやりとりとか慣れてなくてですね、でも一言で返事済ませるのも悪いし、遠慮なくお返事させていただきます。
 って、正直きんちょーしてます。
 まず、いやこれ、気を悪くしたら悪いんだけど、昨日の人ですよね? 青っぽい服の、髪の長い、斉藤さんって女の子としゃべったはずなんだけど、フィーリングロシア部入部志望の新入生の方ですよね、あんなメールもらって、というか、あなたのような人が何で?
コドウマサコ「無言ノオト」

 湿り気のあるささやかな軋み音が新しい客の訪れを告げた。現れた客はくたびれたスーツに身を包み、雨に濡れた頭をかきながら窓際の空席にストンと収まる。
 店員からの挨拶はない。店の奥から姿を現した店員は足音もなく進み出て、メニュー表を無言で開いた。客の方も慣れたもので、迷うそぶりもなく指し示して注文を終える。
 店員は無言のままメニュー表に指を滑らせて注文を確認し、厨房へと引っ込んでいった。
 店の趣向で、ここでは客にも店員にも沈黙が課されている。
 入り口をはじめ、各席にも『私語はお控えください』との案内はあるが、ごく控えめな表記でしかない。文字で示す以上に効力を持つのは先客のありようで、誰一人として声を、物音を立てない店の中でわざわざ騒ぎ立てようなどという者に遭遇したことはほとんどなかった。
 表通りからずいぶんと奥へ引っ込んだ店だから、一見の客が訪れること自体、めったにない。人づてに教わった店を訪れる客はみな、静寂を求めてやってくる。
島田詩子「馴染みの店」

 いくら昼休みでも、オフィス街には似つかわしくない陽気な音楽がだんだん近づいてくる。
 週に一度の名物なので、このビルの勤務者は驚きもせずに急ぎ足で車寄せに集まる。
 他の日にはランチを売るキッチンカーが停まる位置に、気持ちよく晴れた空から虹が下りていた。音楽はその虹の上から聞こえてくる。
 虹の根元から少し離れたところに、あっという間に行列が出来る。これもいつものことだ。
 音楽はだんたんと近づいてくる。それと共に、その源も見えてくる。
 虹をゆっくりと降りてくるのはカタツムリだった。音楽に合わせて楽しそうに頭を振りながらのそのそと進んでくる。その背中には、殻ではなくキッチンカーと同じくらいの大きさの建物が乗っている。
 カタツムリが虹から地面に下りると、背中の建物のシャッターが上がる。カウンターの上に弁当が積み上がった、全体が木目で統一された小さな店舗があらわれた。店の前から地表にかけて小さな虹がかかる。カタツムリの身体を踏んづけないための、スロープの通路だ。
野間みつね「小さな意趣返し」

「古代の奇病じゃないか、って噂になってるの」
 耳だけがキトゥン族の“猫耳”になっている小柄な女は、私が応接テーブルの上に置いた紅茶をひと口啜った後で、仔細ありげに声を潜め、愛らしい表情を曇らせた。

 それは、ケルリ王国の都ニフティスに数多あまたある“冒険者の店アドベンチャラーズ・イン”のひとつ“七色クジラ亭”を拠点にしている男女四人の冒険者アドベンチャラーパーティーを見舞った災難から始まった。
 その中堅パーティーには男女ひとりずつの戦士ファイターと男性魔道士ソーサラー、そして財神ハーザの女性神官プリーステスが居たのだが、男ふたりの方が、古代魔道王国時代の遺跡探索から戻ってきた翌日、腹部の腫れに襲われたのである。
 暴飲暴食したというわけでもないし、出る物が出てこなくなったというわけでもない。勿論、怪我をしたわけでもない。普通に過ごす分には痛みも痒みもない。ただ、とにかく、広範囲に亙って腫れたとしか言いようのない色と膨れ方だったのだ。そして、彼らの腹部の“腫れ”は、翌日には、膨満と言って差し支えないほどの状態になった。