壁の向こうには 一筆献納2023

試し読み動画(YouTube) 電子版(note) 150円 ※冊子版完売

2023年版のテーマは「(物理的・心理的な)壁の向こう側」。
謎めいた雰囲気の表紙にシリアスな作品が揃いました。
島田詩子「休日の過ごし方」

 久しぶりの休みの日をどう過ごすか。
 布団の中でしばらく思案してから長田は起き出した。
 とりあえず朝食を普通に済ませてから、そのままこたつにもぐりこむ。一日中ごろごろしながら動画をながめて、ひたすら怠惰に過ごすというわけだ。
 外出しようかとも思ったのだが、冬の寒さは好きではない。それに、仕事でさんざん外を歩き回っているので、休みくらいは暖かい室内で過ごしたいというのもある。
 寝っ転がったままポテトチップスの袋を開け、ぱりぱりと食べながらコーラをあおる。後の掃除のことは考えない。
 動画を流しているスマートフォンから、メッセージアプリへの着信を知らせる音が鳴った。
 それを耳がとらえた瞬間に、すでに手はアプリを開いている。メッセージの内容はやはり御前からの緊急招集だった。
 同僚たちの今日のスケジュールを思い浮かべる。即座に動ける人数は少ないだろう。自分が休日返上する以外の選択肢はない。
皐月うしこ「マンションの住民たち」

 築五十年。鉄筋コンクリート造りの古い二階建てマンション。
 住人が入れ替わるごとにリノベーションする大家さんのおかげで、扉を開ければそれなりに最新の生活が約束されている。
 風呂トイレ別、室内洗濯機置き場にシャワー付洗面台、カメラ付きインターホン、三口コンロが置ける広いシンク。インターネット完備。元は畳張りの2DKを広めの1DKにして、フローリングを敷いた。都心から電車で四十分。最寄駅からは歩いて十五分。バスで三分程度。それでいて、家賃が片手でおつりがくる。最高の物件、住民たちは引っ越さない。難を言えば、プロパンガスであることくらいか。しかし、それくらいは目をつぶる。
 稀に、空きが出てもすぐに埋まり、また何年も同じ顔がそこに定着する。
 必然的に顔見知りになり、挨拶以外の言葉を交わさなくても、大体の日常を共有する。
 晴れになると決まって布団を干す上の階の老人。日光にあてれば、自然と殺菌されると思っているらしい。
コドウマサコ「交差店」

 遠くで明滅する青がしきりに何かを訴えかけている。
 あれはなんの印だったか。暗く沈んだ視界の中央、うっすらと足もとに浮かぶ白い線の先の、誰もたどるもののいない路の上の、中心に黒く抜かれた影をくっきりと浮かび上がらせる青の、
「……あっ」
 それが歩行者用信号機の明滅だったことに気づいて足を踏み出しかけた時、印は赤信号に置き換わった。目前を大型トラックが通り過ぎていく。足もとから腹へと響くエンジン音と排気ガスの臭い。
 吐く息の白さと背中を伝った汗の感触が季節の両極のように思えて、乾いた笑い声を立ててしまった。
 乾燥気味の目に夜気が沁みる。いつの間にか青へと戻っていた信号が再び点滅を始めたところで我に返った。
 疲れているようだ。腕時計で時間を確かめる。終電にはもう間に合わない。
 今夜もこんな時間になってしまった。
なな「課題「壁のある島」」

 今、向かっているのがこの島だ。この、島の端から端まで走る黒い線のようなものが壁だ。島をほぼ等分に分けるように築かれたといわれている。課題は、この壁が、誰によって、どのような目的でつくられたのか。見ての通り、この島には何もない。上から見ているから、ではない。わずかな動植物以外は本当に何もない島だ。この壁を除いては。
 島の大きさ? 壁の端から端までが約十キロだな。縦はもう少し長いから十五キロぐらいか。ほかに質問は?
 位置? 北の方だ。半径百キロ圏内には海しかない。
 質問がないなら終わりだ。
 締切は今日の二十三時五十九分まで。遅刻は受け付けるが、一時間遅れるごとに十点減点していく。

 委員長は真面目だ。真面目すぎて面白みがないといわれているが、当人は褒め言葉と受け取っている。委員長は端末に送られてきた航空写真をできるだけ拡大してみたが、拡大し過ぎて何が何だかわからなくなったので諦めた。次に壁のある島を検索した。
野間みつね「六方ふさがりのその先に」

 その立方体の部屋には、壁しかなかった・・・・・・・
 そして、壁面全てが、魔道ソーサラーマジック由来の魔力の霊気オーラを纏っていた。
 ……普通、部屋ならば天井と床そして柱があるだろう、と言われるかもしれない。けれど、柱は見当たらず、天井も床も四方を取り巻く壁と見た目が全く同じ寄木張りで出来ており、自分が立っている場所が本当に床なのか、自分の頭上にあるのが本当に天井なのか、見れば見るほどわからなくなってゆく。“壁しかない”と表現したのは、それが理由であった。
 私は今、世界リファーシア各地に残る遺跡……七百年ほど前に滅びた古代ダランバース魔道王国時代の遺跡のひとつを探索中である。隠し部屋の一室にあった棚に立て掛けられていた本を手に取った瞬間、壁しかないこの部屋に送り込まれた……らしい。棚の本を“魔力感知”の呪文で舐めた際、一番高い棚に置かれていた一冊に魔道の霊気オーラを見て取り、さてこそ古代の呪文書に違いあるまいと心躍らせて手にしたのが迂闊だった。……恐らく、魔道の“瞬間移動”と連動する罠だったのであろう。
 得てして誰にでも、弱みに繋がる欲はあるものだ。